「日本が失った天才、金子勇の光と影」の記事を見て、思う違和感

こちらの記事、

wired.jp

 

あたかも、金子さんが稀代のビジョイナリーのような扱いで持ち上げられているが、金子さんのコードもそうでもなかったし、パスワードはハードコートだし、実施の手が早いのはわかるが、まったく、天才という感じはしない。

 

前述の記事の中でも、

ツールを悪用した人物ではなく、ツールをつくったプログラマーに「悪意があった」とするのは過剰かつ不当な対応だ。 

 

とあるが、Winnyの実装に関しては、2ch発で開発の経緯から、明確にコンテンツホルダーに対しては「悪意」をもって開発されている。ビジョイナリー的な発想による実装と言うよりは、出来合いのものを組み合わせて、「いやがらせ」を目的に行っているのは、くだんのスレを見ていればあきらかだった。

かつWinnyと暴露ウィルスが巻き起こした騒動によって、経済的な負の対策を各企業に強いられた。自業自得ながら、暴露ウイルスによって、職を追われて、家庭が壊れてしまった事例も当時のP2P漏えい事案の現場では見ている。

前述のプログラマーを包丁職人に見立てて、包丁で刺した人が悪くて、包丁職人は悪くないという論法があるが、治安の悪い地域の往来で、人を刺すのがわかっていて、刃物を不特定多数の人にばら撒いたみたいなもののように感じている。
そういう危険物をばら撒いた責任は、当然とらないといけないと思う。

金子さんの映画で彼の光と影をとりあげるなら、ぜひとも彼の弱さと、彼のプロダクトによって壊された家庭や、社会的な負のインパクト、そして、日本の司法制度によって、彼自身が暴露ウィルスによる被害の終息に尽力できなかったような矛盾などもぜひ取り上げて欲しい。彼を英雄として祭り上げるような、そんな表面的な話にはしないでいただきたい。よろしくお願いします。